toraの日記

Status: Compiling Data (Philosophy)...

哲学は役に立つのか

就職活動中でたまに聞かれた質問に、"あなたの勉強していることはどう社会に役に立っていますか?"というものがある。まずこの質問への疑問を投げかけたい。他のことも追加で書きたかったが、書いてみたらめちゃくちゃ長くなりそうだったから前半だけで打ち切り。

哲学は社会にどう役に立つか。まずは問題を分析していこう。この文には以下の構成要素がある。

哲学(は)

社会(に)

(どう)役に立つか

まず、これらの構成要素は文字である。そして、これらは質問者の意図(sense)を表すものである。最後に、意図が指し示すものが在るかどうか、この3点を考えなければいけない。文章がTrueになる時、文字は意図が指し示すものを参照(refer)できなくてはいけない。 結論から言うと、これらの構成要素は全て質問者の意図を表せていない。

第一に、"哲学"とはなんだろうか。学問だろうか。それとも哲学を学ぶことを指しているのだろうか。この質問は面接というコンテクストで行われたことを加味しても、文字の意図がよくわからない。

第二に、"社会"という文字はなにを意図しているのだろうか。日本社会だろうか。キャリアフォーラムが行われたアメリカ社会のことだろうか。カナダだろうか。それとも世界中の社会をまとめた上位社会とも呼べるものを指しているのだろうか。

第三に、"役に立つ"という単語は、というかそもそも動詞は物と物の関係性を表すもの。今回の動詞は哲学という物と何かとの関係性を示す意図で使われたのだと思うのだが、関係先の物がわからない。AがBの役に立つとはいうが、Aが役に立つという言葉の使い方は一般的な使い方から逸脱していると思う。

これら3つの構成要素を検証してみた結果、文字に込められた意図が不明瞭であることが分かる。意図が不明瞭であるということは、意図が指し示す参照先(referent)がどれなのかがわからないということ。つまり文そのもの真理値がわからないのだ。反証ができないということ。

哲学が役に立つと仮定した場合、2つのアプローチが考えられる。1つは哲学は役に立つんだと主張するアプローチ。もう1つはそもそも役に立たなくていいと主張するアプローチ。後者は、そもそも大学で学ぶことなんてどれも役に立たないじゃないかというポジションをとることができる。

前者なのだが、哲学がそもそも何を指し示しているのかがわからないのでかなりアプローチしにくい。どういった解釈が考えられるだろうか。まず、哲学という学問を指し示していると考えられる。この場合、学問とはなんなのかがよくわからないところだが、一番気になるのは哲学の題材を指し示しているのか、それとも哲学の題材にアプローチすることをなのかがとても気になる。哲学は特に時代によって題材が変わる学問だから、いつの哲学のことを指しているのかも気になる。

次に、哲学を大学で学ぶことを意味しているとも考えられる。この場合は哲学を学ぶ学生同士がキャンパスで同じ時間を過ごすことに意味が出てくる可能性がある。とりあえず、哲学がなんなのかという解釈によって答え方が(文の真理値が)かなり変わってくるということ。 質問を構成する単語の意図がわからないのだから、そもそも大学で勉強することなんてどれも役に立たないと主張するのが手っ取り早いのは確かかもしれないが・・・・・・・・・・・・・・。

職種について

日本国内での就職活動はよくわからないので何も言えないが、海外で正規留学をしている人、特に自分と同じで人文系にいる人に向けてなら言えることがある。"職種選び"というものに気をつけてほしい。

職種というのは、総合職と一般職(バックオフィス)というのに分かれる。前者が会社が商売をしている内容になり、後者は経理や人事といった会社の運営になる。自分は前者しか眼中になかった。自分の場合は元々BtoBメーカー志望。そもそもメーカーというのは何かを作って売る会社のことだから、総合職として作る人と売る人が必要になる。つまり、技術系の職種と営業系の職種である。技術系の職種というのはほとんどの場合、大学等でそれを専門として勉強した人しかなれない。なので自分の場合は消去法で営業系に応募していた。でもこれが間違いだった。 営業系は新卒だと営業職ぐらいにしか応募できないのだが、営業というと売る人である。つまり売れない人だとダメなのだ。面接ではおそらくそういったところを見られていたんじゃないかと思う。

自分の場合は専攻が哲学。営業先でまともな会話もできないことが予想される(苦笑) 就職活動で経済学生が有利というのは、こういった理由が考えられると思う。自分は営業志望で何度も応募したが、全て無駄だったのではないかと思う。技術も営業もダメとなると、はてさて何が残っているか。 営業というのはどの会社でも何かを売るという行為に変わりはないけど、技術というのは業界によって変わる。例えば繊維業界なら化学の繊維系の知識が必要になるから、そういったことを勉強した人を採用する。自分の行くIT業界の会社でもIT系を学んだ人を主に採用している。でも、ITといってもプログラミングなんかは入社後に身につく程度の知識しかいらないのだ。だから知識がない人の応募を受付けている会社がいくつかある。小さいところよりも大手にその傾向が見られると思う。専門知識が必要なことは外注することが多いからかな。

そこで、キャリアフォーラム等を回るときには、会社の募集職種に気をつけてほしいと思う。より具体的な職種が明記されていたら、それは具体的なスキルセットや知識が要るということ。逆に、総合職採用とかって大きな括りで募集している場合は入社後に必要な知識を叩き込むのではないかと思う。あと、自分が売れない人だと思ったら営業は諦めること(笑) ただ営業といってもセールスとプリセールスに分かれていて求められるものが違う場合もあるので、それこそ募集職種に注意を払って欲しい。

そしてもっと大事なのが、自分は○○職にしか応募しない、といったように応募職種を限定しないこと。自分に合っている職種がないと思ったら志望業界を変えてみて欲しい。ちなみにコンサルタントという職種(?)があるが、あれは営業系や技術系とはまた違ったものだから、興味があれば受けてみるべし。

ウィンターライド

リーディングウィークで天気がよかったから家でローラーを回すのをやめてアルミロードで90分ぐらい走ってきた。途中で自転車道路が雪で使えずに高速に入っちゃたがすぐ出られてよかった。 ちょっと撮影モードを変えるのを忘れて写真が全体的に青くなった。 4 (2) サブウェイのBLTサンドのフットロング(12インチ)チーズなし。実はこれこのサイズでチーズなしなら650kcalなのである。パンが大きいから塩分がちょっと不安ではあるが。 4 (1) 今年も去年と同じく冬が長引きそう。4月の中旬までに雪があらかた溶けていることを祈るしかない。体重は塩分を抑えている状態で113kgちょっとまで落ちていた。

帰国までの減量実行計画

おそらく7月の頭に日本へ帰国するだろうということで、それまでに体重90kgまでの減量を達成するべく計画を立てた。現状がだいたい115kgなので、残り25kg減量する必要がある。

期間は2月19日から6月30日までの3ヶ月ちょっと。132日になる。 まず、去年の走行データを見る限りでは4,5,6月の消費カロリーがずば抜けて高い。2,3月は雪の関係であまり外で走れないこと、大学の授業が4月の頭で終わることから、この3ヶ月が要となる。 WS000023.jpg

大学の授業だが、4月の頭で終わってそこから4月の終わりまで試験期間になる。テストやエッセイを書かないといけないが、運動する時間の確保は容易なはず。 2月の残り10日と3月の31日、合計41日それも室内ローラーでじゃあまりカロリー消費はできないかと思う。8kgも減量できればいい方で、おそらく5kgぐらいになるんじゃないかと思う。ということは残りの20kgを4,5,6月の3ヶ月間で燃やさなくてはいけない。去年のデータからすると可能であるはず。

1kgの脂肪は7000kcalと考える。そうなると3ヶ月間で140000kcal燃やせばいいことになる。毎月約46666kcalの消費。この3ヶ月で91日あるので、毎日1538kcal燃やせば目標達成になる。食事のコントロールも継続するから、まあ達成可能な数値だと思う。 毎日1538kcal燃やすことの障害になりえる要素を1つ1つ考えていく。主にチャリで消費するわけだから、チャリをこぐ人(俺)とチャリ本体(機材)と、走るには走る場所と時間がいる。

チャリをこぐ人

こぐ人が抱える問題は主に2種類。メンタル面とフィジカル面。メンタル面の問題は走るのに飽きること。去年の走行データから可能な限りいろいろなルートを作成する。また、オタワバイシクルクラブのグループライドに参加したり、去年ロードを買ったA君と頻繁に走りにいくようにする予定。

それでも一人で走らなきゃいけない日はあると思う。そういう時は食べ物で自分を釣る。走行ルートに食べ物が買える場所を入れる。携帯しやすいロックはあるけど、それでもチャリから目を離すのは怖いから、この辺は改善が必要。なんとかせねば。

あとは翌日あまり走れなくなるけど今年も2日で400kmぐらい走るリドーレイクス、モントリオールまでの往復、200kmライドといったものを考えている。 フィジカル面はとりあえずプロテインパウダーの常備を考えている。これだけで十分かな?

機材

去年の走行からチャリはかなりオプティマイズされている。1つ気になるのはハンドルバー。EASTONのEA70にするつもり。あとバーテープはボントレガーのジェル入りを試してみようと思っている。グリップとクッションが欲しい。

サイクリングウェアは去年の夏と秋に利用したものをそのまま利用。追加で何着か買ってもいいかも。できれば春になる前に購入を済ませておきたい。

走る場所

こぐ人のメンタル面で出てくる解決法がそのまま解決案。

走る時間

去年はまともなライトを持っていなくて夜間走行が難しかった。でも去年の秋にヘッドライトを買ったから今年は夜間走行が可能になる。なので日没を気にする必要はなくなった。 天気についてだが、去年は雨がふったら室内ローラーを1時間ぐらい回していた。問題はローラー用タイヤやホールに変えなければいけなかったっこと。この問題に関しては、去年の秋にタイヤをルビノプロスリックにしたことでタイヤやホイールを交換しないでローラーが利用できるようになった。多分コンチ4000SとかミシュランPRO4とかその辺の高いタイヤには戻らないと思う。速さより大事なものがある。

これで問題になりえる要素全部に触れたと思う。一番の問題は一人で走る時チャリから目を離すときに感じる不安。盗まれないんだろうけど、目を離すこと自体が怖い。なんとか解決策を考えねば。 可能な解決策といえば、チャリを店内に持ち込める店を探して利用するとか。そうすると走行ルートの種類が減るからあまりよくないか・・。 補給食を事前に用意しておいて、そもそも店に入らないというのも1つの案。でも毎回同じ補給食は飽きるし、昼や夜ご飯にするにはちょっと足りない。 さてどうするべきか・・・。

ビットリア ルビノ おつかれさま

リーディングウィークに入る前ぐらいからアルミロードのホイールに違和感が。一定周期でゴンゴンといかにもタイヤがデコボコになったような感触がするのだ。タイヤのビードがダメになったかホイールがふれたかのどちらかだと思ったのでホイールを確認したがそんなにふれていない。となるとタイヤ。雪に突っ込んだり滑ってこけたりとかなりハードに使ってるのに、よく2冬も持ったものである。 ちょうどいいので自転車屋Pecco'sまでランニングしていく。ゴアテックスのシューズを手に入れたからこういう時便利。大学に行くにもこのシューズばっかり使っている。 1 (2) とりあえず必要な物を調達。スポーツドリンクパウダーは賞味期限が1ヶ月過ぎてるらしく、タダでもらった。タイヤはコンチネンタルのウルトラスポーツ2。初めて使う。 1 (5) 1 (4) 前のビットリアルビノはもう穴があきまくりで、パンクガードもボロボロ。交換して正解だった。 2 (1) ところで今使ってるGiyoのタイヤレバー、めっちゃ使いやすい。今までコンチやらパークツールやら使ってきたけど、これが一番良い。 2 (2)

ジョーと論理学

2chでは以下のコピペが使われることがある。

論理学 ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。 「論理学ってのはどういったもんですか?」 「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」 「ありますよ」 「ということは、広い庭があるわけですね?」 「その通り!うちには広い庭があります」 「ということは、一戸建てですね?」 「その通り!一戸建てです」 「ということは、ご家族がいますね?」 「その通り!妻と2人の子供がいます」 「ということは、あなたはホモではないですね?」 「その通り!ホモじゃありません」 「つまりこれが論理学ですよ」 「なるほど!」 深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。 「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」 「いや。ないよ」 「ということは、君はホモだな!!」

このコピペの解説がどれもこれもおかしいのでちゃんと解説しようと思う。解説してる人たち、絶対に論理学やったことないだろ。 論理学には仮定のオペレーターというのがある。フランスだと→ という記号が使われることが多いらしい。それで、P→Qは if P then Qという仮定文になる。

論理学はtruth value(真理値)というものを示す言語であって、フォーミュラPや文P→QにはTrueとFalseのどちらかの価値が与えられる。論理言語を元に作られているPCの電気信号でいう1と0である。 で、このコピペを記号で表していこう。

芝刈り機がある→広い庭がある 広い庭がある→一戸建てである 一戸建てである→家族がいる 家族がいる→妻と2人の子供がいる 妻と2人の子供がいる→ホモではない

となる。この文のセットは以下の文と同じ真理価値を持つ。

芝刈り機がある→ホモではない

そこら辺の解説では

ジョーは 芝刈り機がある=ホモではない 芝刈り機がない=ホモである と勘違いした

とかかれているが、これは間違い。→という記号で表さないと真理値が全然違うものになる。 P→Qという文章は、PがQに対する十分条件であり、QがPに対する必要条件である。真理値のテーブルを作るとわかりやすいが、今回はそこまで論理学をするつもりはないので割愛。

P→Qという文がTrueであれば、PがTrueの時にQがTrueになる(conditional)。一方、P→Qという文がFalseであれば、PがTrueの時にQがFalseになる(negated conditional)。 Pの時は絶対にQが出てくるが、Qの時はPが出てこない場合があるという感じ。だから、例えばR→Qという文が書かれていないが実はどこかにあって、RがQを成立させている場合がありえる。その場合はPがFalseでもQがTrueになることもある。 そして、

芝刈り機がある→ホモではない

と同じ真理価値の文章は

ホモである→芝刈り機がない

なのだ。対偶(contraposition)というらしい。これは

芝刈り機がない→ホモである

と全く違う真理価値を持つ文章だ。十分条件と必要条件がひっくり返っている。

ジョーはこの辺りの対偶関係を間違えたということになる。 個人的にこのコピペの笑いどころは論理学の教授がジョーに論理学を教えなかったというところにあると思っている。まあ、多分書いてる本人が論理学分かってなかったんだろうって気もしなくはない。

卒業式は6月

ついにこの時が来てしまった。 Untitled_20150213141622f47.png

卒業式に参加して学位をもらうための登録手続きをしてくださいとのこと。ついに最後の学期かと思ったら、それももう半分が終わり、残る授業は1.5ヶ月のみ。何をするかも決まっていない状態でカナダにきて一人暮らしを始めた4年前が懐かしい。

新宿のとある私立校に通い、卒業後はどの学校に行くかも決まっていない状態でカナダのモントリオールへ渡航した。高校にいた頃にTOEFLを受けていて、選ばなければ英語圏の大学に入れるぐらいのスコアはあった。それでもモントリオールにこだわったのは、そこが自分の生まれ故郷だから。 小学校の頃から自分は普通にしているだけなのに回りとどうにも合わなかった。日中のハーフだから回りからそういう目で見られたというのが大きいと思う。ちなみに高校3年までは親に言われても自分がカナダ籍を持っていることを信じていなかった。モントリオールにこだわったのは、自分が生まれたらしいところで生活してみることで、自分が自分であることを受け入れる第一歩にしたかったから。

今は単位を落とさないようにしつつ減量を継続!来るべきその時に向けて刃を研ぐのである。

内定までの流れ

2015年の1月に自分の就職活動は終わった。後は6月の卒業に向けて単位を取るだけ。まだメールで内定の連絡をもらっただけでいまいち実感がないが、カナダのオタワ大学にいる自分がどういう就職活動を行ってきたかをまとめておこうと思う。

就職を意識し始めていろいろと調べるようになったのはちょうど1年前の今頃。2014年の冬からだった。こっちからだと就職活動という日本にしかない変な現象についての情報が一切手に入らず、ネットに頼るしかなかった。

今オタワ大学には自分の知る限り2,3人の日本人がいるけど、就職活動をしたという参考にできそうな先輩は一人もいない。 とりあえずキャリアフォーラムを行っているCFNとリクナビ国際派就職の2つに登録した。海外から日本の会社へ就職するとなると、一番有名なのはCFNのキャリアフォーラム(CF)だと思う。2014年から2015年にかけては、東京サマー、ロサンゼルス、ボストン、東京ウィンター、とサンフランシスコで行われている。中でも一番大きいのは3日間開かれるボストンキャリアフォーラムで、参加は200社ぐらいになり、11月に開催される。が、(出展企業数では)東京サマーが一番大きいらしい。盛り上がるのはボストンの方。

2014年の春ぐらいから自分の卒業時期と入社時期が合うCFNのオンライン求人にエントリーしていった。でも返事がこないのはあたりまえで、意味がなかったと思う。今はどうかわからないが、オンライン求人が使えないとなるとやはりキャリアフォーラムに頼った就職活動になると思う。 自分は10月のロサンゼルスCF、11月のボストンCF、そして12月の東京ウィンターCFに参加した。最初はBtoBのメーカー系かインフラ系に行きたいと思ってて、そういった会社に事前応募してCF当日に面接を受けた。ロサンゼルスで受けたのは覚えている限りで以下の5社。

三菱電機、PFU、大阪ガス、キトー、ローム

全部落ちた。正確には応募していないけど、実はワークスアプリケーションズとはこの時に少しやりとりがあった。まあ今それはいい。応募した会社のうち、結果の連絡がこないところが多かった。

11月のボストンCFではBtoBメーカー、インフラ、あと商社を主に受けて行った。なるべくいろいろな会社を見ていこうと思って、かなり無茶な受け方をしていた。応募して面接の予約を入れたのは以下の16社。

東京ガス、日揮JGC、阪和興業、ヤマハ発動機、エレコム、キリン、リブコンサルティング、日立製作所、日立情報通信エンジニアリング、日立コンサルティング、日立化成 トタニ技研工業、東レ、扇港産業、住友重機械工業、住友電工

BtoB系で働きたい気持ちが強く、炭素繊維が面白そうだから東レが第一志望だった。まあ全部落ちた。この中で、エレコムはCFNが新しく始めた就活エージェントさんからの紹介で、ここだけ2次面接にいけた。CFで就活するならCFNのエージェントには登録しておくべきだと思う。 スケジュールがギリギリすぎて商社とキリンの面接は全部キャンセルした。応募すれば簡単に面接オファーがもらえたから調子のってたと思う。キャリアフォーラムは書類がめっちゃ通りやすい。その代わり面接でめっちゃ落とされる。覚悟しておくべき。

コンサル系の会社は落ちたけど受けてよかったと思う。実はメーカーやインフラ系だと面接官がまともに話してくれないことが多かった。面接の形式が一方的な質問で、得るものがなかった。一方コンサル系はどこもちゃんとした会話ができ、自分のやりたいことや考えの甘さを認識できるという意味で得るものが大きかった。国内学生の就活でコンサル系の選考が早い時期にあるって聞いたけど、かなりの利点だと思う。自分と同じようになるかはわからないけど、これから就活をする人はぜひコンサル系の会社を最初の方に受けてみて欲しい。

ボストンCFから東京ウィンターCFまでの間にリクナビ国際派就職のエージェントを通して20-30社ぐらい応募した。非公開求人もあると思うので社名は書かないが、書類が通ったのは3社だった。そのうち小さめの商社は大阪で遠いので選考辞退。もうひとつの大手保険会社は海外だと授業がある日程で選考会が行われたので参加不能で辞退。最後の広告代理店は一時帰国時に会社まで行って面接を受けたが落ちた。

最後。東京ウィンターCFではITコンサルを中心に、というかITコンサルしか受けなかった。就職活動の戦略に変化があり、狙いをかなり絞った。そのあたりについては次の記事で書くつもり。面接を受けたのは以下の6社。

日立システムズ、日立ハイテクソリューションズ、フューチャーアーキテクト、SAPジャパン、ワークスアプリケーションズグループ

他にも時間があったからウォークインで数社受けて落ちたけど省略。日立系列の2社は選考の変更が前日に告知されたりとめちゃくちゃだったのと、気になるところの説明会と時間がかぶっていたから辞退した。

勤務先をおおっぴらにしないよう一部削除 とまあ、とりあえず自分は職場のある六本木・虎ノ門辺りで10月から社会人としてスタートすることになった。といっても最初の半年は研修だが。続きは次回。

(追記)この記事のアクセス数が良すぎるので続きどうしようか考え中。続き以外のエントリは就職活動カテゴリを参考に。

一日中雪

今日は一日中雪が降り続いていた。 朝はまだ普通に自転車で走れたのだが、帰りが無理すぎた。 道路の上はまだ走れた。でも車が常に渋滞状態で、道路に走る隙間がない。

2015-02-04a.jpg 2015-02-04 b

下りだけは楽だったが、それ以外は自転車ないほうがよかった。

成長とはなにか 私のアプローチ

成長とはなにかの続き。前の記事では以下の点を指摘した。

成長の本質を求める上で、 共通項=本質 と考えた場合でさえ、 成長をした経験の共通項≠成長の本質 である。なぜなら、 成長をした経験≠成長 だからだ。

経験は経験対象ではない。例を用いさせてもらえば、 大学生の経験≠大学生 大学生の経験が大学生そのものと同じであるはずがない。大学生の経験は大学生の十分条件である。つまり、大学生の経験は大学生でなくてはできない。だが逆はそうではない。大学生のやることは大学生の経験だろうと言う人もいると思うが、大学生と大学生のやることは同じではない。大学生という人と、大学生の行う行動の違いであるといえる。


この批判を考慮した上で、成長の本質とはなにかを考えるにはどうすればいいだろうか。3通りのアプローチが考えられる。

1. 成長をした経験こそが成長の本質そのものだという点を別の主張で補う。(私の批判への批判を行う)

2. 経験以外のところから成長の本質へアプローチする。(アプローチを変える)

3. 諦めて成長の本質を空白にする。(アプローチしないというアプローチ)

1は私が行った批判の批判があれば考慮するべきだ。だが私は思いつかないので2か3のどちらかを選ぶしかない。自分が取るのは2だが、まずは3について少し書かせてもらう。 3はカナダ人がよくやる私の嫌いなアプローチだ。つまり、考えてもわからんから多様性という言葉でくるんで勝手に決めろという個人主義である。しかしこの考え方は大きな欠点がある。というのも、個人で勝手に成長の本質を決めていいということは、私が勝手に成長の本質を決めていいということだ。私が論理的手法を用いて成長の本質を導き出せたとしたら、それは私にとっての成長の本質だ。でも、論理的手法で導き出してしまったら、それは私だけの本質と言えるだろうか?とりあえず言えるのは、2と3は私にとって同じ選択肢であるということだ。


メタな視点に立ってみよう。"成長とはなにか"という疑問は、なんだろうか。まず、言葉である。誰かが誰かに意思を伝えるために発した質問ではないから、意思疎通を図っていないことが分かる。これが回答することの難しさを作り出している。そう、この疑問には正しい答えがあるかはわからない。 俺がまずやらなくてはいけないのは、この疑問には正しい答えがあるのかという点を考えることだ。これは実は簡単だ。成長とはなにかという疑問は、言語で表されている"成長"の本質を問いている。言語が表せる意味の限界を考えると、言語で表せる本質は、言語で表せるはずだ。そして成長という言語で表されている。つまり、 問われている成長の本質は、言語(日本語)の表せる限界の内にある。 私はここで、"成長の本質"から"問われている成長の本質"への発想の転換を起こしている。成長の本質を答えるのは間違いであり、問われている成長の本質を答えるのが、この疑問に対する正しい回答だと考える。

ここで起きている発想の転換がわかりにくいかもしれないので追記 単語Xは言語Yに所属している。(成長と日本語の関係) 私達が問いている本質は、"成長"という単語を用いて発せられている。 つまり、日本語で表現できなかったとしたら、それは求められている本質ではない。("成長"という単語が日本語のため) よって、私達が求めている本質は、日本語で表現できるものである。 この点から、私達は成長という単語をどう使うか、どういった意味合いをもたせるかを考えることへシフトした。


私達はどういった時に成長という言葉を使うだろうか。この単語について考えてみると、以下の様な特徴がある。

1. 隠された主語がある。 成長するということは、何かが成長するということだ。つまり、隠された主語がある。考察において、Xが成長の主語であると考えて進めていく。

Xが成長する

2. 変化がある。 Xが成長するということは、Xに関することでなんらかの変化が起きていることが伺える。

Xが成長する→Xが変化する

3. 良い変化である。 "Xが成長する"、と"Xが変化する"という文は同じ意味ではないと思える。私達が成長という単語を使う時、変化が起こっているだけでなく、その変化はXにとって良い変化であるという意味合いが付くのではないか。ちなみに英語でいう成長(Growth)はその限りではない。ただ、疑問が日本語で発せられていることから、日本語で回答するものとする。

Xの変化とは、Xにとっていい変化である


上記の3点をまとめると、以下になる。 成長≡Xの成長≡Xの良い変化


今回の成長とはなにかというトピックではこれ以上掘り下げないことにする。なぜなら、さらに議論すべきことが出てきたからだ。変化という言葉は、以下のように現状とは違うものになるという定義ができる。 変化=N+1

一方、"良い"とはどういうことなのか。これは倫理学で研究されていることだ。ここから先に進むには、この点を深く掘り下げなくてはいけない。 課題。"良い"とはどういうことか。 ぜひ考えてみてほしい。


追記 ところで、Xが変化するといった場合、変化前と変化後は同じXではないのである。Xt1が変化してXt2になるのである。その変化がXにとっていいものだと言った場合、Xt1にとってなのか、Xt2なのかが明記されていない。成長は成長前と後の自分のどっちにとっていいものなのかと考える必要がある。これはとても面白い視点だと思う。

成長とはなにか 既存の議論が抱える問題点

就活生やら社会人が"成長とはなにか"という疑問に答えようとしていることがある。だが、彼らのアプローチはほぼ全て間違いだ。100人で考えようが、1000人で考えようが、間違っているものは間違いなのだ。それを指摘したい。 まず、他の人がどうアプローチしているかを調べた。と以下のブログが出てきた。 「成長とは何か」を自分の言葉で定義せよ この記事で書かれているような方法でアプローチしているのがだいたいだろう。まず批判を述べ、次に自分の見解を述べようと思う。 この記事では以下のようにアプローチしている。

私は研修で「成長するとは何か?を自分の言葉で定義せよ」という演習を行っている。具体的には、各自にこれまでの仕事のなかで「いちばん成長できた経験」をあげてもらい、グループで共有する。そして、そうした自他のさまざまな経験エピソードを踏まえたうえで、「成長すること」の本質は何かを抽出し言語化する作業を行う。

つまり、自分が成長できた経験を共有し、それらの共通項を本質と考え、それを成長だとするアプローチを行っている。


しかし、こんなやり方で成長というものの本質が見えるわけがない。このアプローチは、まず、本質という単語を使うこと自体が間違いである。 本質とは一体なんなのか。成長という単語が示しているものが成長の本質ではないか。もちろん成長という単語自体ではない。筆者のアプローチは成長をした経験から成長の本質へアプローチしている。 共通項を本質として扱うことの是非は別に議論されるべきだが、その点を無視しても、この方法では正しい結論を導き出せない。なぜなら、成長をした経験は、成長の本質ではないからだ。成長をした経験の共通項は、成長をした経験の本質である。成長の本質ではない。つまり彼らが行っているのは、成長とは何か?という疑問を、成長をする経験とは何か?という問題定義にすり替えている。自分は本質という単語が大嫌いだがまた使わせてもらえば、問題の本質をそもそもつかめていない。 私達は、もともとの問題の難易度に向かい合った上で答えを出さなくてはいけない。勝手に問題をすり替えて難易度を下げていいわけがない。つまり、筆者と研修に参加した人達は問題を間違った方法でとらえ、間違った答えを出しただけである。


同じ理由で、自分の経験で具体的に何がどうなったかなどという方法で成長というものを定義することはできない。成長の経験における共通項は、成長の本質ではない。 私達が求めているのは成長というものの本質だ。それはなんだろうか。成長をXとした場合の本質Yは以下の条件を満たさなくてはいけない。 X≡Y (意味が分かる人用) 一方で、一般的な答え、例えば以下の様なものは、この条件を満たせていない。

・成長とは、限界の幅が広がること

これらは、 [成長→限界]であり、[成長≡限界]ではない。[成長≡限界]は[(成長→限界)&(限界→成長)]である。 記号論理を使わずに言えば以下になる。 成長は限界の幅が広がることに対する十分条件である。 つまり、 限界の幅が広がるのは、成長じゃない要因でも起こりえる。 よって限界の幅が広がることは成長の本質ではない。成長していない時でも自分の限界が広がることがあるからだ。(例えば、飛行機のチケットを買えば成長か?車を買えば成長か?自分の移動限界が広がっているのが自分は成長していないはずだ。) 成長の本質Yは、成長がYの十分条件かつ必要条件であり、Yが成長の十分条件かつ必要条件でなくてはならない。でなければ成長の意味が変わってしまう。


ちょっと長くなってきたので自分の見解は別記事にする。ヾ(☆OωO+)ノ ロストした人は次の記事の冒頭でこの記事の主な批判を簡単にまとめてるからそれを参考にして。 成長とはなにか 私のアプローチ

"自己紹介をしてください"

就職活動の面接で聞かれるものの中で、答え方がさっぱりわからなかった質問がある。それは、"自己紹介をしてください"というもの。

回りにいる人達が言うには、自己紹介は自己PRをする場らしい。ではなぜ面接官は自己PRをしてくださいと言わずに、自己紹介をしてくださいと言うのだろうか?自己PRをしてほしいのに自己紹介を求めるのは極めて非合理的だ。利益を上げる会社としてそういうわけのわからないことをしているところがあったとすれば、そこは地雷だろう。こういったことから、自己PRじゃない何かを求められているのは明らかじゃないだろうか。

では自己紹介とは一体何をすればいいのだろうか。 名前、性別、年齢といった自分のパラメータを言うものなのだろうか?だが、そういった情報は渡した履歴書により詳しく書いてあるし、手元にある資料を読みもしないで相手に聞く人というのはいかがなものか。自分で知ろうとする前に相手に聞くという、ネットで言われる"ゆとり世代じゃあるまいし"という言葉が最適だろう。ちなみに自分はゆとり世代を批判しているわけではない。ちなみに自分は自己PRも履歴書に書いている。あえて口頭で、それも書いてあることと同じか違うのを言うか悩ませてまで聞きたいことってなんだろうか。

上記の2つの可能性を除くと、面接というシチュエーションで自己紹介をしてくださいと相手に聞くには二通りの理由が考えられる。

1.社内で自己紹介といえば〇〇だという宗教的な状態になっている。

2.自己紹介をしてくださいと、意思不明な言葉を使い相手の反応を見ている。

1の場合、その会社に入らなくて正解だ。会社というか、宗教法人会社と言った感じだ。Aといえば皆が口を揃えてAという感じなのだろうか。嫌いな単語をあえて使うとすれば、そういう社風なのかもしれない。だが、その場合は求人票によく書かれている"風通しのいい社風"だとか、"自分の意見がいえる"だとか、"手をあげたらやりたいことがやれる"といったことと矛盾しないだろうか。それとも、社内では矛盾しないようにこれまた不思議な宗教的共通認識が存在するのかもしれない。とりあえず入らなくて正解だ。

1がありえないとなれば、残る可能性は2しかない。自分は自己紹介をしてくださいと聞かれたら、この質問で相手が何を求めているのかを知ろうとするようにしていた。自己紹介ってどういったことをお話すればいいですか?と聞き返していた。自分は自分がやれる限りのコミュニケーションを人事の面接官ととろうとしていた。 こう聞き返したのはこれまでの考察があってからだから、2の意図で自己紹介を求められているのなら自分の回答は評価されるべきなんじゃないだろうか。コミュニケーションをきちんと行おうとしている、さまざまな可能性を考察して最適な対応をしている、といった評価がされてもおかしくないと自分でも思っていた。 が、自己紹介を求めてくる会社はどこも一次面接を通過できなかった。自分の逆質問に対してろくな返事をしてくれない面接官もいた。面接でコミュニケーションがろくにとれない人事がいる会社は、行かなくて正解だろう。

ここまでの考察してきたが、未だに自己紹介をしてくださいとの問いへの答えがわからないのである。自分の気づいていない視点があればぜひ聞きたい。ちなみにだが、自分が内定をもらったITの自称(笑)メガベンチャーの面接では面接官が履歴書をちゃんと読んでくれた。

ブログどうしよう

さて、ブログを再び書き始めるにあたって、考えなくちゃいけないことがある。 ブログに何を書いていくかである。

今まではオタワでロードバイクでロングライドしたりレースに参加したりといった内容で書いてきた。でも仕事が始まるとそうもいかないと思う。ロードバイクはあくまで趣味という扱いになって、土日に走ったりとその程度になるかと思う。 仕事だけど、2015年10月入社の予定。入社してしまうとブログで何を書いたらいいのかがさっぱりわからないのである。週末にサイクリングをするだけならブログを書くほどでもないだろう。仕事に関係する話なら、書ける範囲でなら書いていけるが、さてどういう方向性になるのかがまだわからない。

ブログを書くことは義務ではない。書くことが自分にとってメリットをもたらすから書くというのが自分の方針。ではそのメリットとは何になるか。それをもう一度考えなくてはいけない時期に来ている。 まず、自分は仕事を通してやりたいことがある。そんでもってそれができるっぽいところから内定をもらえた。待遇も自分からすると相当良い。具体的にいえば初年度年俸で親父と同じか少し超えるかぐらい。こういったことから、自分の生活はあくまでも仕事が中心になっていくと思う。そうなると、自転車は仕事の為に続けて行くものになると思う。

自分の就職先は俗にいうITコンサルで、総合職として採用された。セールス、コンサルタント、エンジニアのうちどの部署に配属されるかはわからないが、どれも基本的にはオフィスワークになる。仕事で体を動かすことがあまりないから、趣味でそうするというのは体調管理面や頭のリフレッシュという意味でいい組み合わせだ。会社の事業内容からして知識労働がメインになるので、頭のリフレッシュというのは特に大事。 就職する前に奇しくも就職先の仕事に合う趣味を持っていたということになるかと思う。さて、この仕事と趣味のバランスをどう取っていくかというのがこれからは重要になるのではと思っている。とりあえず今シーズンはオタワにいるので、日本に帰ることをもっと意識し始めた頃ぐらいにもう一度考える。

就職活動終わった

2014年10月から本格的に始めた就職活動がやっと終わったみたい。 まだメールでだけど内定の連絡をもらった。 結構長いことやってた気もするけど、実際は3か月ぐらいしか活動していなかった。

海外から日本で就職をするというハードルもさることながら、中間や期末試験で忙しいときにロサンゼルスに行ったりボストンに行ったり・・。 まあ、とりあえずは落ち着きそうなので時間がある時にブログ更新していこうと思います。 ちなみに初任給でニューバイクは買わないゾ!

しばらく忙しい

ここ数ヶ月ろくな更新をしていない。というのも海外からの就活が本格的にはじまったというのと大学の試験期間に入ったことで自転車どころではないのである。

この冬に希望してる就職先が見つかったら就活は終えると思うので、そしたらまた更新していこうと思う。見つからなかったら・・・・、大学卒業後に帰国して就活をすると思う。減量にまた集中するためにもこの冬で決めたいものである。