toraの日記

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成長とはなにか 私のアプローチ

成長とはなにかの続き。前の記事では以下の点を指摘した。

成長の本質を求める上で、 共通項=本質 と考えた場合でさえ、 成長をした経験の共通項≠成長の本質 である。なぜなら、 成長をした経験≠成長 だからだ。

経験は経験対象ではない。例を用いさせてもらえば、 大学生の経験≠大学生 大学生の経験が大学生そのものと同じであるはずがない。大学生の経験は大学生の十分条件である。つまり、大学生の経験は大学生でなくてはできない。だが逆はそうではない。大学生のやることは大学生の経験だろうと言う人もいると思うが、大学生と大学生のやることは同じではない。大学生という人と、大学生の行う行動の違いであるといえる。


この批判を考慮した上で、成長の本質とはなにかを考えるにはどうすればいいだろうか。3通りのアプローチが考えられる。

1. 成長をした経験こそが成長の本質そのものだという点を別の主張で補う。(私の批判への批判を行う)

2. 経験以外のところから成長の本質へアプローチする。(アプローチを変える)

3. 諦めて成長の本質を空白にする。(アプローチしないというアプローチ)

1は私が行った批判の批判があれば考慮するべきだ。だが私は思いつかないので2か3のどちらかを選ぶしかない。自分が取るのは2だが、まずは3について少し書かせてもらう。 3はカナダ人がよくやる私の嫌いなアプローチだ。つまり、考えてもわからんから多様性という言葉でくるんで勝手に決めろという個人主義である。しかしこの考え方は大きな欠点がある。というのも、個人で勝手に成長の本質を決めていいということは、私が勝手に成長の本質を決めていいということだ。私が論理的手法を用いて成長の本質を導き出せたとしたら、それは私にとっての成長の本質だ。でも、論理的手法で導き出してしまったら、それは私だけの本質と言えるだろうか?とりあえず言えるのは、2と3は私にとって同じ選択肢であるということだ。


メタな視点に立ってみよう。"成長とはなにか"という疑問は、なんだろうか。まず、言葉である。誰かが誰かに意思を伝えるために発した質問ではないから、意思疎通を図っていないことが分かる。これが回答することの難しさを作り出している。そう、この疑問には正しい答えがあるかはわからない。 俺がまずやらなくてはいけないのは、この疑問には正しい答えがあるのかという点を考えることだ。これは実は簡単だ。成長とはなにかという疑問は、言語で表されている"成長"の本質を問いている。言語が表せる意味の限界を考えると、言語で表せる本質は、言語で表せるはずだ。そして成長という言語で表されている。つまり、 問われている成長の本質は、言語(日本語)の表せる限界の内にある。 私はここで、"成長の本質"から"問われている成長の本質"への発想の転換を起こしている。成長の本質を答えるのは間違いであり、問われている成長の本質を答えるのが、この疑問に対する正しい回答だと考える。

ここで起きている発想の転換がわかりにくいかもしれないので追記 単語Xは言語Yに所属している。(成長と日本語の関係) 私達が問いている本質は、"成長"という単語を用いて発せられている。 つまり、日本語で表現できなかったとしたら、それは求められている本質ではない。("成長"という単語が日本語のため) よって、私達が求めている本質は、日本語で表現できるものである。 この点から、私達は成長という単語をどう使うか、どういった意味合いをもたせるかを考えることへシフトした。


私達はどういった時に成長という言葉を使うだろうか。この単語について考えてみると、以下の様な特徴がある。

1. 隠された主語がある。 成長するということは、何かが成長するということだ。つまり、隠された主語がある。考察において、Xが成長の主語であると考えて進めていく。

Xが成長する

2. 変化がある。 Xが成長するということは、Xに関することでなんらかの変化が起きていることが伺える。

Xが成長する→Xが変化する

3. 良い変化である。 "Xが成長する"、と"Xが変化する"という文は同じ意味ではないと思える。私達が成長という単語を使う時、変化が起こっているだけでなく、その変化はXにとって良い変化であるという意味合いが付くのではないか。ちなみに英語でいう成長(Growth)はその限りではない。ただ、疑問が日本語で発せられていることから、日本語で回答するものとする。

Xの変化とは、Xにとっていい変化である


上記の3点をまとめると、以下になる。 成長≡Xの成長≡Xの良い変化


今回の成長とはなにかというトピックではこれ以上掘り下げないことにする。なぜなら、さらに議論すべきことが出てきたからだ。変化という言葉は、以下のように現状とは違うものになるという定義ができる。 変化=N+1

一方、"良い"とはどういうことなのか。これは倫理学で研究されていることだ。ここから先に進むには、この点を深く掘り下げなくてはいけない。 課題。"良い"とはどういうことか。 ぜひ考えてみてほしい。


追記 ところで、Xが変化するといった場合、変化前と変化後は同じXではないのである。Xt1が変化してXt2になるのである。その変化がXにとっていいものだと言った場合、Xt1にとってなのか、Xt2なのかが明記されていない。成長は成長前と後の自分のどっちにとっていいものなのかと考える必要がある。これはとても面白い視点だと思う。