嫌い合う
自転車通学をしているとたまに幅寄せみたいなことをされたり特におかしいことをしていないのにクラクションで煽られることがある。
こういったことをしてくるのは、いつも車両だ。
逆に車両のドライバーは道路の端っこを中途半端な速度で走る自転車を嫌っているだろう。
自転車が歩行者を後ろから追い抜くときに、その歩行者が横に動かない保証がない。
それと同じ感覚なのだろうと思う。
さらに、自転車は交通マナーを破ることが多い。
信号無視する自転車を何度見たことか。
つまり自転車のりは車のりを嫌い、車のりは自転車のりを嫌っているのだ。
しかし彼らはお互いがお互いを一般化しているだけだ。
実際には交通マナーのいい自転車のりもいるのだ。
逆に、車のりだって自転車に道を譲ってくれる場合もある。
幅寄せだって好きでやってるんじゃないかもしれない。
後ろから自転車を抜くときにクラクションをならすのも、ミラーのない自転車に抜きますよと教えてくれているだけかもしれない。
一般化された概念同士が互いを嫌おうとも、そんなことどうでもいいのだ。
長い時間話し合うわけでもないし、お互いがお互いを本当はどう思っているのかなんてわからない。
なら煽られても煽りやがってこんちくしょーと思った1分後には忘れてしまうのが一番良いのではないか。
お互いがお互いを嫌う、もちろん行き過ぎれば良くないが、ミューチュアルに嫌う分には問題ない。
自転車や自動車に限らず、人間関係もそんな感じだと思う。
相手のことを、うぜーこいつと思っていても、友達にはなれる。